エンタメ東大脳専門家/エンタメエリートプロデューサー
市野瀬 早織 さん
アートは“幸福感を最大にした自己実現”を人間に叶えさせてくれる。
「AI時代にデザイン力を」
Art Room Lumiereの提唱するこの言葉に強く共感する。
これからの時代は間違いなく、個人の“右脳”、
つまり感性・感覚・感情がどれだけ開花しているかということによって、活躍の場も個人や家族の幸福感も大きく左右されるからだ。
2020年度から日本では本格的な教育改革・大学入試改革が行われる。
このことは、小中高大と日本の教育を6,70年間支えてきた“戦後教育”が、今となってはもう過去のものとなったこと、そして、これからの日本の子ども達が体験するのは“新しい教育”だということを意味している。
2045年には今ある職業のほとんどがAIに取って代わられると言われる。
現代社会の変化の度合いは速く、未知数であることを
すでに誰もが体感するようになっているはずだ。
変化の激しいこれからの時代において、我が子が活躍できるか否か。
親としては、切実な問題だろう。
それもそのはず。
もう大手企業に入って、生涯安定した給料を得ることを保証してくれる時代ではなくなったのだから。
これまで通りに学習塾に通わせ、難関校に入学させ続ければ活躍できるというのは、もう過去の話になったのだ。
では、これから親が子に対してできることは何か。
それは個々の子どもの中に必ず眠っている“才能”を開花させることだろう。
子どもは正直だ。
「これがやりたい」「楽しくてしかたない」
日々の中で、たくさんの情熱を開いている。
親がこの子どもの想いをいかに受けとめ、集中的に能力を伸ばす我が子を見守れるか。
簡単に言えば、これさえできれば必ずその子どもの才能は開花するのだ。
才能さえ開花すれば、お金も人もモノも、後からいくらでもついてくる。
そして何より、人生において誰もがほしがる幸福感も
この“才能”が伸びなければ得られないも同然なのだ。
では、子どもの“才能開花”にもっとも適しているものは何か。
それがアートなのである。
アートは“幸福感を最大にした自己実現”を人間に叶えさせてくれる。
これは人間の司令塔が脳であることから明らかだ。
右脳(=感性・感覚・感情)で思い描いた「こうありたい!」「こうしたい!」という夢や目標を、左脳(=思考・判断)が「では、どうしたらよいか」と現実化させること。
これが夢を実現させる脳のメカニズムだ。
ところが、左脳過多の戦後日本の教育では「~なければならない」「~すべきだ」が最優先された。つまり、私達親世代には、右脳の教育を我が子にしようと思ってもその“方法”
が体感として身についていないのだ。
だからこそ、子どもが右脳を自力で花開くことは、
子どもが“幸福感を最大にした自己実現”を可能とするために
実はとても重要なチャンスなのだ。
「将来アーティストになるつもりはないから」
「絵を習うなら学習塾へ」という考えは
対処療法ばかり重視して、肝心な心身の健康の土台を整えないことと似ている。
また優秀な医師や弁護士が、絵画や音楽に造詣が深いことは
昔から言わずと知れた事実だ。
これまで通り、塾に行って、進学校に通わせ…という
「これで“幸せ”になれる」人生勝ち組の黄金ルートがなくなった以上、
これからは本当の意味で“自己実現”の時代だ。
そして、自己実現のためにはまずもって、個人の右脳の開花が不可欠。
また右脳の描くイメージを現実のものとして、
右脳と左脳とのかけ算によって“デザインする力”が必要なのだ。
Lumiereにはこの右脳と左脳との教育環境が整っている。
単純な絵画教室でも工作教室でもない。
絵本作家、グラフィックデザイン、プログラミングの専門家まで交えた
豊富なアトリエスタ陣。
曜日固定、クラス固定のないレッスンスタイル。
他に類を見ない「アート」と「デザイン」ふたつのカリキュラム分けも
それを物語っている。
自由に右脳を開花させつつ、それを「人に届ける」ことを左脳を使って考える。
これはまさに芸術と生産活動の融合だ。
人間は「生み出せなくなったときに絶望を感じる」とされるが、このことを逆に言えば、生涯何かを創造し続けることが必然だということでもある。
何より、代表の青山絵美加氏自身が、右脳と左脳とをこれまでの人生でバランスよく開発してこられた過去がある。
何度も青山氏と話してきて思うのは、彼女が単なるアーティストや経営者を超えた
“人生の創造家”であるということ。
何を買うかではなく、「誰から買うか」が重要な時代。
彼女の理念に共感した仲間達がこれからも世界中から集まってくるだろう。
私もその一人だ。
ープロフィール
市野瀬 早織(いちのせさおり)
エンタメ東大脳専門家/エンタメエリートプロヂューサー
早稲田大学大学院教育学研究科 修士課程修了。 新卒で偏差値70を超える都内難関私立中高に国語科教員として勤務。10年間の教員生活の中で、延べ3000人の中高生と保護者の教育に携わる。伸び盛りの学校での教員生活により、教育への情熱がさらに華開き、中学1年から高校3年までの6年間担当した生徒の5人に1人を東大進学に導いた。超進学校で「東大に行ったからよい人生を送れるわけではない!」と4月の始業式からクラスで演説。学歴を追い求めるだけでは絶対に幸せになれないことを、自分の経験から多くの人に知っていただくべく起業を決意。現在に至る。